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葬送(平野啓一郎)

先日より、平野啓一郎の『葬送』を読んでおります。
第二部上巻のショパンの演奏会の下りは圧巻で(約100ページ、詳細に綴っておりました)ピアノ弾く&ショパンが大好きな身として、非常に勉強になりました。

この本を読む前にショパンの映画も観たのですが(『ショパン 愛と哀しみの旋律』)、私の読書感想としては、2人の女性がショパンを命を奪った、でしょうかね…
サンドに飼い殺され、スターリングに見世物にされ、社会情勢の最悪さはともかくとして、あんな不世出な最高の芸術家を…と思うと居た堪れない気分になります。

私自身、ショパンだけでなく、バッハ、スカルラッティ、ハイドン、モーツァルト、シューマン、シューベルト、ベートーベン、メンデルスゾーン、リスト、ブラームス、ドビュッシー、ラヴェルなどなど、様々な作曲家の曲をピアノで弾いた経験がありますが、ショパンは特異だなぁといつも思います。
とにかく、先が読めない、暗譜し辛い。音源を聴きつつ譜読みしつつも、実際に弾くと弾けない。
特に和音が覚えづらく(根音を弾く指が一定せず、抜けている音も一定しない)、その上で和声を真剣に追い転調を視野に入れると、暗譜するまではひたすら、必死で悲惨な気分です。
リストとか単純でホッとするぐらい。技術的にはショパンよりも難しいんですけど。

弾いていると、ショパンがピアノという楽器をいかに愛し、いかに活かし、単一の楽器でいかに美しく音楽を奏でるかに生涯をかけた軌跡を追うように感じ、ピアノしか弾けない(ピアノすら満足に弾けない)私にとっては”神の音楽”です(しかも小さな手でも弾けるという…)。

サンドについては『愛の妖精』の翻訳を読みましたが、美しい話とは思いますが、所詮は読み捨て的な、短絡的で浅い印象があります。ショパンなしに翻訳されていたかどうなのか?
バーネット(小公女とか)もモンゴメリ(赤毛のアンシリーズ)も好んで読みますが、『愛の妖精』が描く見分けのつかない双子とかみすぼらしく実は賢い非リア女子とか、そんな設定がなくても充分に面白いお話って、大昔から大量にあるしねぇ…
第一に、大の男(=ショパン。大の女でも同様ですが)を、”自分の子供”扱いできる厚顔さが気持ち悪い。
で、自分の子供には毒親とかね。愛玩のモーリス(サンドの長男で兄)と搾取のソランジュ(妹)、子供よりも何よりも尊敬され愛されるべき自分(サンド)とか、人格障害じゃないの?とか思う訳で。

なぜマヨルカ島に、愛人&子連れで長期旅行したのか。
子供のためを思うなら、母と子どもたちだけの旅行にした方が良いと思うし、都会に慣れ病弱ななショパンを長旅させてド田舎に連れていく必然性もない。
サンドは思慮の浅い女性だなぁと思います、自分さえ気分良ければ人の気持ちなんてどうでも良いのか、と。

フランスで革命が起こり、芸術家たちがパリから避難せざるを得なかった事情は理解できます、肺結核のショパンさえパリからイギリスに渡らなきゃならないのも分かります、でも、スターリングの望みでイギリス国内で無理に無理を重ね、スコットランドまで長旅せざるを得なかった必然性が理解できない…
スターリングがショパンを愛し活躍を願い、ショパンに愛されたいと願っていたと小説で描かれておりますが、ショパンの体調無視での善意の押し付けは、害にしかならないし。
40歳にならない男性が杖ついて歩いていたと読み(階段は人におぶさって移動していた)、尋常じゃないな、と思いました。
愛していたら、そんな尋常じゃなさぐらい、真剣に考えろよ、と。

この二人の女性ではなく、ショパンを守り幸せに出来る女性と、なぜ出会えなかったのか…と非常に残念に思いますが、それもショパン自身が選んだ運命、どうしようもなかったんだろうなぁ…と……

何よりも、侵略とか戦争とか、人間が人間であるために絶対に不必要だな、と心から思いました。

小説を読み、個人的に、ドラクロワに好印象です。
ショパンの浮世離れした性格も美しいです。
文体は、明治文学のような面倒くささがありますが(漢字の使い方、表現法など)、慣れれば、より引き込まれます。
久々に読んで良かったと思える小説でした。
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